夫と妻の心理を考えてみよう

変換 ~ 005
責任感が、現代の男性優位社会を肯定するところから生じてくることは明らかですが、それはまた、おなじ理由によって、妻に対する自己卑下となってあらわれることがあります。
妻を扶養するのは夫の義務である、と信じながら、その義務がはたして妻を満足させるほどに果たされているだろうか、という強い責任感が劣等感を生むのです。
とくにアメリカの夫にみられる妻に対しての屈従的な態度なども、もとはといえばこうした責任感からでたものだといえるでしょう。
ただ、ここで見おとすことができないのは、たとえ妻への屈従的な態度となってあらわれようと、この種の責任感からくる夫の劣等感が、じつは、現代の男性優位を認める社会に対していだかれているものである、という点です。
このことは、妻が夫の屈従的な態度のうえにあぐらをかこうとしたり、いわんや優越感にひたったりすることがいかに見当はずれであるかをものがたっています。
いつぼう、夫かいだく優越感は、その外見にもかかわらず、どちらかといえば男性優位社会の否定にもとづくものであるということができます。つまり、男女平等を原則とする社会において、経済的能力にまさっているものとしていだくのが、優越感とよぶべきであるからです。
優越感に責任感がともなうことは、もちろんありうることですが、優越感はまた責任感とちがった心理のはたらきをあらわします。
まず、責任感がむしろ社会に対するものであったのと反対に、優越感が全く夫の妻に対するものであるところに、両者のちがいがあらわれるのです。
優越感は、一面、夫の妻に対する支配的な態度となってあらわれ、夫はつねに、妻の優位に立とうとすることで満足をおぼえます。
妻に屈従することを好まず、もし優越感をきずつけられることがあれば、強い不満をいだくことになるでしょう。
妻は自分が扶養してやっているのだ、という意識がその底にあることはいうまでもありません。
素敵なパートナーにで、出会っても幸せに付き合うには努力が必要です。
優越感が別の面であらわれると、妻に対する同情やあわれみとなります。いわゆる弱いものに対する同情に近い心理、がそこにはたらくのです。
妻をとくくつかわいがる夫の心理にも、たとえ意識的にではないとしても、無意識的にこの優越感がはたらいているといえましょう。
優越感は、また、故意に妻に対して屈服的な態度をとることで、それをいっそうつよくしようとすることがあります。

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